こんばんは(^ ^)
お立ち寄りいただきありがとうございます!
前回の続きと言うか、今回はシェルターの生活の事を書きます。
約3年間、シェルターで生活したのですが、その間4回引越しました。
最初に入ったのは一軒家で、一階にはその家のご夫婦が暮らしていました。
たぶんきっと、地域の民生委員のようなご夫婦だったのかと思っています。
わたし達は二階に住みました。
部屋が3部屋、共同のキッチンとお風呂がありました。
洗面所に洗濯機もありました。
シェアハウスのような感じです。
ここではよく、野菜やお肉を入れたうどんを作りました。
2人で こればっかり食べてたかも(^_^;)
管理しているご夫婦に、近所にキレイな薔薇が咲いてるよ。と、教えてもらい、毎日見に行ってました(^ ^)
ここでは約2週間暮らしました。
次は、寡婦の方や 障害のある子供を持った母子家庭の方などが住む、二階建てのアパートのようなところに住みました。
お風呂は共同で、建物の中にあり、管理人室で入る時間を予約するシステムでした。
あとは普通のアパート暮らしと同じで、ベランダに洗濯機もあり、冷蔵庫 炊飯器 調理道具なども揃っていました。
ここに居た時は、真夏だったのですが、エアコンが無く、ベランダに衣装ケースを出して水をため、赤ちゃんと水遊びをしました。
そしてこの部屋は、いつも子供の足音のような音が聞こえていました。
パタパタと、すぐココに居るような。
赤ちゃんも足音がする方を見て、よく笑っていました。
不思議と怖さや不気味さはなく、可愛いらしい感覚でした。
自殺防止のため、カーテンレールが無かったりしたので、もしかしたら以前に悲しい出来事があったのかなぁ。
足音はその時の子なのかなぁ。
なんて想像していました。
食事面では、赤ちゃんが牛乳を飲まないので、カルシウム補給させたくて、牛乳でご飯を炊いたりしていました。 今では絶対やりません(^_^;)
ここでは約3ヶ月暮らしました。
ここに居る時に、1回目の調停がありました。
裁判所から手紙が来るので、住所変更の事があったり、ポストに名前を書いてはいけなかったので、手紙が届かなかったり、ちょっと面倒がありました。
次は、寡婦寮に入りました。
共同部分は、玄関 トイレ シャワー室 洗濯場 食堂でした。
旅先のホテルのような建物で、3階建てでした。
入ってすぐ、バスタオル タオル 風呂桶 洗面器 石けん 歯ブラシなどが入った大きな袋をいただきました。有難かったです。
ここでは食事が出ました。時間になると母子だけ食堂に集まって、みんなで食べます。
わたし達を含めて、この時は3組の母子が居ました。
大浴場もあるのですが、母子は使えず、寡婦の方専用でした。
母子は、シャワー室を使いました。
個室には カギは付いてなく、旅館にあるような金庫があり、ここも自殺防止なのか、高い天井の隙間からカーテンがぶら下がっていました。
洗濯物は屋上に干すのですが、屋上は喫煙所にもなっていて、いっしょに住んでいる寡婦の先輩方が、誰かしらいつも一服していて、赤ちゃんと遊んでくれたり、世間話もしました。
中には「あたし子供嫌いなのよ」とハッキリ言う人も居ましたが、悪気ゼロな感じで、皆さん明るくて楽しい人達でした(^ ^)
お酒の持ち込み禁止だったのですが、ここで1度だけ、缶ビールを飲みました(;∀;)
ここでは約4ヶ月暮らしました。
先輩方に仲良くしていただいたので、寮を出る時は、涙が出ました。
皆さまありがとうございました!
次は2年間居られる母子寮に入りました。
長くなったので、母子寮の事は次回に書きます。
ここまでお読みいただき、お付き合いいただき、ありがとうございました!