こんにちは(^ ^)
お立ち寄りいただきありがとうございます
前回の続きです。
中学に入る頃になると、きょうだいはみんな部活やバイトなどで、あまり家に居ませんでした。
激しい暴力も、会う時があまりないので、この頃には治まっていきました。
家にひとりで居る時間が増えたので、好きな音楽も聴けるし、好きなテレビも観ることができました。
ひとりで居る時に、きょうだいが帰ってくると、聴いている音楽をけなされ否定され、テレビのチャンネルは即変えられましたが、
それでも束の間の自由時間は楽しかったです。
この頃は、遅く帰ってくる両親のために食事を作っていました。
きょうだいの分は必要な時だけ。
1度だけ、CookDoの麻婆茄子を作った事があります。
その時母親に
「楽しみに帰って来てるのに何だ!コレは!」
と、怒られました。 まさかの反応にびっくりして悲しくなったのを覚えています。
手を抜くな!って意味だったのか、未だによくわかりません。
CookDo、旨くて最高じゃん☆
CookDoに謝れ!ヽ(`Д´)ノ
そしてこの頃は、勉強もさっぱり分からなくて、
塾に行きたい。と母親に申し出ても「どうせ行かなくなる」「遊びに行くだけだろ!」と言われ通わせてもらえませんでした。
家には夜中まで誰も帰って来ないし、だんだん友達と夜まで遊ぶようになりました。
友達と遊んで、夜の11時を過ぎ、
怒られるかと緊張して家に帰っても、
いつも家には誰も居ませんでした。
虚しくて、よくひとりで泣きました。
学校をサボったり、タバコも吸ったしお酒も飲みました。
親の反応は、特にありませんでした。
わたしはただ、自身を傷つけるマヌケでした。
分かって欲しい、話しを聞いて欲しいのに、家族は容赦なく、ざっくり言えば、わたしをこき使い、虐めてきました。
わたしに対する母親やきょうだいのいじめを、父親は知らなかったと思います。
なので、父親に相談しようと、助けてもらおうと何度も思いました。
が、信じてもらえなくて、父親までにも冷たくされたら、と思うと怖くて言えませんでした。
死んじゃいたい。とか思っても、葬式代がかかる!とか、死んでからも言われるんだろうなぁ。とか虚しく思っていました。
ここまでお読みいただき、お付き合いいただき、ありがとうございました(^ ^)